●2018年11月3日

時刻は16時30分頃。
夕闇迫る木曽路・宮ノ越宿を越え、南下を続ける



お日様の光があたらなくなると、カラダが一気に冷えてくる。サムイ~

●東の山では雪が降っている模様

『実家の盛岡も、もう、雪が降っていることだろう』
そんな事を考えながら、上に一枚羽織る。
●投宿地の上松宿は2宿先

到着予定時刻の18時まであと1時間20分程度ある。かなり、余裕。
●とはいえ「木曽路はすべて山の中である(*v.v)。。」

下手すると、このあたりも雪が降ってくる可能性はゼロではない。
のんびりしすぎる事なく、上松宿まで走り切ろう。

(3)宮ノ越~上松宿 篇
●江戸時代の木曽路を眺めつつ、先へ進む

宮ノ越~福島の間の木曽路は、木曽川のすぐ隣を通っていたらしい。
ここは、現代でも通れるのだが、秋の台風で人道橋が流されてしまったらしく、只今通行止め。
●江戸時代からの石碑なども現存している

経塚。
初代木曽代官は諸国の霊場を巡り大乗経(→大乗仏教の経典…般若経や法華経など)を収めた。
彼はその記念に、御嶽山が見える場所を選んで盛り土をし、松を植えた「塚」を築いたそうな。
しかし、時が流れると、塚があってもそういう事を知る人は少なくなった。
そこで、初代代官のひ孫にあたる代官が、初代の百年忌を記念して塚の由来を碑文を刻み、建立した。
初代が塚を築いたのは慶長年間とあるので、江戸の最初期の話だろう。
●ペダルをこいで進んでいるうちに、木曽福島の関所が見えてきた

「入鉄砲出女」の改めが大変厳しかった事で知られる福島関。
その厳しさは、東海道浜名湖近くにある「今切関所」と並び畏れられたという。
夜中における飛脚等の類は、予め問い合わせがあった大名家以外のものは通れなかったらしいので、
愛馬・BROMPTON号で旅する僕も、江戸時代であれば今宵この関所は通れず、宮ノ越宿泊りだったろう。
まあ、この関所はもう何回か見学しているし、足ダメージもあるので、パスして福島宿内へ向かう。
●福島宿

木曽川沿いに広がる福島宿。現代においては、長野県木曽町の中心部にして、木曽路の中心地区でもある。
ちなみに、見た目温泉街の様な雰囲気だが、温泉は無い。

ほお、豆腐料理・・・
他にも、町の中に気になる料理店が散見され、 そそられる。
しかし、僕の投宿先は次の「上松宿」
後ろ髪引かれる思いで、福島宿を後にする。
●木曽路ポタテーマ曲(*v.v)。。 NOMADIC NATION 2「Esperanza LONG」(KONAMI 2014)
●日没

交通量少なくない国道とはいえ、木曽路はすべて山の中(*v.v)。。
道は割と暗い。
●フロントライトVOLT400、VOLT300どちらも点灯させ、夜の木曽路をゆく

●途中の分岐では、当然「旧道」を選択

街灯ゼロ、交通量ほぼゼロの真っ暗のこの道を進むと・・・
●「木曽のかけはし」が見えてきた

「木曽の桟(かけはし)」は、険しすぎてそのままでは道をつなげなかった場所に桟道(かけはし)を通して、
無理矢理道をつないだ江戸時代の空中道路の事。
崖にへばりつくようにして通っており、今、僕が立っている場所がそうだった。
目の前に見える赤い橋は、その名前にあやかって造られた現代橋の「木曽のかけはし」。
●記念写真をパシャリ!

橋の向こう側の左下に、ふるびた温泉旅館「桟温泉」とかいうのがある。
こういう辺鄙な場所も嫌いではないので、いずれ木曽路ポタ旅で泊まりたい
●街灯ひとつない漆黒の旧道をゆく(*v.v)。。

「・・・いたたたた
」
ヒザとお股がだいぶ痛くなってきた。
往時、都市から都市へと早駆けした武士も、きっと同じような痛みに耐えていたことだろう・・・
そんな事を思いながらヨボヨボと進むと・・・
●おおっ
!

上松宿の灯りが見えてきたぞ
!(大部分は上松駅の光だが)
●17:52、上松宿に到着

・・・宿場は既に、寝静まりかえっているかの如し
江戸時代かよ。
●18時ちょうどに田政旅館到着
!

僕にしては珍しく、完璧なタイムスケジュール。
BROMPTONくんを畳み、痛むヒザとお股をいたわりながら、ヨタヨタとチェックイン。
広々とした、しっかりした旅館だ
●ロビーには御嶽海(みたけうみ)の手形が


木曽路では各地で御嶽海の「のぼり」や「ポスター」を見かける。
郷土力士を熱心に応援する山里のみなさんの姿を想像するとなんか微笑ましく、僕も応援する様になった
●2Fの部屋は、びっくりするほどあっためられていた


「あ、あつい
」
外気温が3℃なので暖房強めなんだろうが、走ってきたばかりで火照っており、暖房のスイッチを切る。
仲居さん:「オ食事ノ ゴ用意デキテマスケド、オ風呂ト オ食事、ドチラヲ先ニシマスカ?」
KOU:「食事で!」
●仲居サン:「デハ、コチラノオ部屋ヘ
」

KOU:「おおっ
!」

仲居さん:「ソレデハドウゾ、ゴユックリ
」
どうも、仲居さんはほぼ全員外国人の方のようだ。
●”和の旅”を演出するつもりで宿場町の旅館泊を選んだが、時代は既にグローバル

こういう田舎の旅館でも、外国人の方が活躍する時代になっていたんだなあ
いやあ、無知とは恐ろしい。
では、おビール頂きます・・・ゴキュゴキュゴキュ><。
あひィ、ウマい
!!!

静かなお部屋で、晩ごはんをのんびりと頂く
宿場に到着した後で判ったのだが、旅館の周りにはご飯を食べられる店がいくつかあった。
しかし、ヒザや股のダメージが予定より大きかったし、食事を旅館で済ませられる様にしたのは正解だった。

お食事はなかなかの充実ぶり
最初、素泊まり予約の料金約6,000円、後で夕食付にしたら10,000円、
どんな食事かと思っていたが、満足、満足

貸し切り状態のお風呂で長風呂、ホッカホカになって部屋に戻り、「男のゴールデンタイム」を真似る
やはり、古い町に出かけて旅館に泊まる旅、旅情が感じられて「悪くない」
。
次の国内ポタの旅路を想像しながら、眠りに落ちる・・・
zzz
●翌日11月4日、7時45分頃に旅館を出発!

朝ご飯は、この先の須原宿、野尻宿などで地のものを頂くとしよう
●上松材木所跡を通過

江戸時代中期、当地を治めていた尾張藩は、木曽地域の山林を大規模調査したところ
山々の木材の大半が既に伐採され、しかもはげ山状態になっている事を知って大変驚いた。
そこで、山林業務を全て木曽代官から取り上げ、直轄管理する為の役所をここに設置した。
それは奉行から同心まで常駐する大掛かりなもので、大砲まで備えた「城塞」だったという。
ちなみに、山林関連業務を取り上げられた代官は、今回冒頭の経塚を築いた代官山村氏の子孫だ。
●上松と須原宿間には風情ある情景が多い
♪

宿場ではないんだけど、旅館的な古い家屋が残っていたりする。
ここには立場茶屋でもあったのかも知れない。

のどかな山々~
♪
間もなく、ここも雪化粧か。

木曽路クルマが通らない旧道区間のポタは、本当に最高だな
~♪
・・・今回はヒザの調子も悪くないし、残り5宿間も順調に走り終えられよう

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