走行日:2009.08.12(水)※お盆

お天気:快晴

乗車:DAHON Vitesse P16





お盆休み、実家の盛岡に帰る途中、仙台から各駅停車の電車に乗ってポタしながら移動してます。

本日最後のエリアは、平安時代、奥州に花開いた『もうひとつの京(みやこ)』平泉でございます





音楽のお借り先 RIO913さん「ASIAN DEARM SONG」






●東北本線平泉駅に到着
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松島からは1時間くらいの乗車時間になります。

だいぶ日が出てきました。でも、涼しい。気温はせいぜい30度くらいじゃないでしょうか。



平泉駅前にもレンタサイクルがあります。これ、どんどん利用しちゃいましょう。

ぶっちゃけ、平泉周辺のみだけ走る事を考えると、自前のチャリ運ぶ必要は無いかなあと思います。

※ただ、花泉⇔平泉間の北上川の土手の上はとてもキモチいいので、そこを走りたいなら、

やはりMYチャリでしょうね^^

















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走り出してスグに気づくのは、蝉の声がそれほど盛んに聞こえないという事。

そう、僕は初めて関東の夏を迎えた大学時代、蝉の大音量にびっくりした記憶があります。

温暖化が進んだとは言え、北東北はまだ関東以南ほどは蝉が多くないって事なんでしょうね。


岩手に入ると、蝉の声よりも南部鉄器の風鈴の音がよく聞こえる様になりますよ(´ー`)




















●毛越寺(もうつうじ)
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【由来】

 寺伝によると、嘉祥三年(850)慈覚大師が東北巡遊のおり、この地にさしかかると、

一面霧に覆われ、一歩も前に進めなくなりました。

 ふと足元を見ると、地面に点々と白鹿の毛が落ちておりました。大師は不思議に思い、その毛を辿ると

前方に白鹿がうずくまっておりました。

大師が近づくと、白鹿は姿をかき消し、やがてどこからともなく、一人の白髪の老人が現れ、

この地に堂宇を建立して霊場にせよと告げました。

 大師は、この老人こそ薬師如来の化身と感じ、一宇の堂を建立し、嘉祥寺と号しました。

これが毛越寺の起こりとされます。(毛越寺リーフレットより)













●本堂
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嘉祥寺は円仁が建立した後、大火で焼失してしまいますが、奥州藤原氏の第2代・基衡(もとひら)が

久安6年(1150年)~久寿3年(1156年)にかけて、毛越寺として大規模な伽藍を建立します。

彼が本尊として作った薬師像は、莫大な費用をかけて高名な仏師運慶に制作を依頼したもの。

あまりに出来栄えが見事だった為、鳥羽院にその奥州下り(平泉に送ること)を禁じられ、基衡は

かなり困った様ですが、関白藤原忠通のとりなしで、仏像は毛越寺に迎えられたという逸話が残っています。













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基衡が建立した壮大な伽羅もまた度重なる火災で失われ、基礎を除いて現在に残るものはありません。

写真の本堂も、1989年に当時の造りを模して再建されたもの。

しかし、運慶が作った薬師如来と、同時代に制作された脇侍・日光菩薩、月光菩薩は、

今でもこの本堂の中に安置されています。




















●ちょっと散策してみましょう^^
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全て失われた藤原時代の建造物。

しかし、その基礎は良好な状態で姿をとどめており、かつての寺の規模を想像する事は難しくありません。



















●浄土庭園
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毛越寺の庭園は、塔山を背景にした大泉が池の配置から、典型的な浄土庭園とされます。

池はかつて向かって左手にあった「南大門」から「中島」を経て右手にあった「円隆寺」を結ぶ橋で

二分されていたそうです。

藤原氏はこの池の上に、舟を浮かべて管絃の音楽を楽しんでいたと記録で伝わっています。




















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池にはやわらかな曲線をえがく砂州と入り江があり、海岸線の砂浜の優雅な美しさも再現されていました。



















●遣水(やりみず)
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その池に清らかな水を供給するのが、庭園の中をゆるやかに流れるこの遣水と呼ばれる水路。

『水底には玉石を敷き詰め、蛇行する流れに水切り、水越し、水わけ等の石組みを配し、

水辺に咲く四季の草花と相まって、すばらしい景観を形作っている』(リーフレットより)



平安時代の遣水の完全な遺構は、この毛越寺のものが現存する唯一のものだそうです。

















浄土信仰は、天災や戦乱、政情不安が増えた平安時代末期、現世で救われないのならば来世で救われたい

という願いを込め、仏教経典に描かれている荘厳華麗な極楽浄土を現実世界に再現し、信仰心のよすがと

しようとしたものでした。

この毛越寺では、往時の威勢は偲ぶより他にありませんが、今もそこかしこに、奥州藤原氏の世界の

空気を感じる事が出来そうです。


























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※このままチャリで中尊寺に移動します。