走行日:2009.08.14(金)※お盆
お天気:快晴
乗車:DAHON Vitesse P16

盛岡の夏は名古屋や千葉の夏に比べて、明らかに乾いた空気。
中津川沿いを走ると、日差しの下でも涼しさを感じるくらい。
それは、この街に響いてるたくさんの風鈴の音が、そう思わせるのかも知れません。
中津川沿いを走ると、日差しの下でも涼しさを感じるくらい。
それは、この街に響いてるたくさんの風鈴の音が、そう思わせるのかも知れません。
さあ、真夏の盛岡のポタリングを続けましょう(^▽^)
●岩手銀行中の橋支店

1911(明治44)年完成。ルネサンス様式の煉瓦造りの建物。

1911(明治44)年完成。ルネサンス様式の煉瓦造りの建物。
設計者は東京駅を建設した工学博士辰野金吾、岩手県出身の工学博士葛西万司の両氏。
この建物は東京駅より先の着工で、そのデザインの実験でもあったのではないかと言われています。
使った煉瓦はのべ91万個。
完成までに3年の月日を要しています。

弧光燈(アークライト)にめくるめき
羽虫の群のあつまりつ
川と銀行木のみどり
まちはしづかにたそがるゝ
〈宮沢賢治〉
羽虫の群のあつまりつ
川と銀行木のみどり
まちはしづかにたそがるゝ
〈宮沢賢治〉
賢治は明治29年生まれ(明治三陸津波の年ですね)。
彼が青年に差し掛かった頃、このモダンな建物は街の中でひときわ目を引くスポットだった事でしょう。
やがて重要文化財となったこの建物は、100年近い月日が流れた今も、銀行として使われています。
●紺屋町番屋

1913(大正2)年完成。

1913(大正2)年完成。
紺屋町は江戸時代の商家が残り、未だに商いを続けている盛岡市内でも屈指の古い街。
その中でこの番屋はひときわモダンな建物となっています。
木造2階建ての家屋の上に、六角形の望楼がそびえ、てっぺんにある風見鶏がとても洒落た風情。
冬、非常に寒冷で、しかも乾燥する盛岡は、たびたび大火に見舞われたといい、
この様なしっかりした立派な火の見櫓が各所にあったそうです。
紺屋町番屋は、2005(平成17)年に、92年に及ぶ使命を終えました。
●旧・九十銀行本店

いわぎん中の橋支店より古い、1910(明治40)年完成の煉瓦造りの建物。

いわぎん中の橋支店より古い、1910(明治40)年完成の煉瓦造りの建物。
設計は東京帝国大学を卒業して間もない、盛岡出身の建築家・横濱 勉。
煉瓦造2階建(一部地下1階)、重厚感溢れるロマネスク様式の建物です。
銀行としての機能は数十年前に終わっており、近年では「啄木・賢治青春館」として、
盛岡の歴史とこの街の文人の歩みを紹介する施設となっています。
建物の中には、かつての銀行のホールを利用した落ち着いたカフェテリアもあり、
僕も帰郷した際は、度々ここでお茶しております。
この建物も国の重要文化財に指定されています。
●ホットライン肴町(さかなちょう)

盛岡唯一の全天候型アーケードがある街。確か、長さは365mだった筈です。

盛岡唯一の全天候型アーケードがある街。確か、長さは365mだった筈です。
このアーケードは25年ほど昔に出来たもの。
当時最新鋭と思われる『天井の開閉機能』がついているアーケードで、
晴れた日は日差しが降り注ぎ、雨の日は濡れずにすむ・・・という快適なモノだった覚えがあるのですが、
いつの頃からか閉まりっぱなしになった様な・・・。
肴町は大通りと並ぶ盛岡の繁華街のひとつで、デパートから生活感溢れる小商店までが
ごちゃまぜになっている街です。
母方のおばあちゃんがこの街が好きだった関係で、僕は大通りよりもこちらに来る機会の方が
圧倒的に多かったなあ・・・。
●盛岡バスセンター

肴町の隣町・神明町に、ひときわ存在感のあるバスセンターがあります。

肴町の隣町・神明町に、ひときわ存在感のあるバスセンターがあります。
盛岡市内路線、県内各地への長距離路線や、仙台・東京への高速バスなどの総合ターミナル。
ごらんの通り、老朽化はなはだしい施設。
はっきり言って、僕が子供の頃からほとんど何も変わってません。
1960年開業のこのセンターは、50年前(昭和30年代半ば)の雰囲気を色濃く残す建物なのです。

構内にはプラットホームがあります。
しかも、バスの入線案内と出発案内は、今でも、ちゃんと人間の音声で丁寧にアナウンスされます。
ホームの中にある番号札のランプが点ると、バスはゆっくりバックし、ハンドルを左に大きく切って
行き先に向かって発車してゆくのです。
ばあちゃんに連れられて盛岡に買い物に来てた頃は、ここにはいつもたくさんの乗客がいて、
バスも数分おきにひっきりなしに発車していました。
今はバスが大型化してホームを使いにくくなった関係で、バスセンターの周囲に新設された
バス停を使っているケースが多いようで、ちょっと寂しい雰囲気です。
でも、沿岸地域や温泉地域、絶景が広がる八幡平(はちまんたい)国立公園方面行きのバスは
このホームから発車しますので、岩手観光される方には、一度このバスセンターを利用して頂ければ、
リアルにレトロな旅情を必ず楽しめると思うのです。
●毘沙門橋

中津川にかかる人道橋を渡り、再び駅の方面に向かいます。

中津川にかかる人道橋を渡り、再び駅の方面に向かいます。
●盛岡城址公園(岩手公園)

南部氏20万石の居城だった盛岡城の跡地。別名:不来方(こずかた)城。

南部氏20万石の居城だった盛岡城の跡地。別名:不来方(こずかた)城。
1590年、天下統一を果たした豊臣秀吉に、当時の当主・南部信直が10万石の所領を安堵され、
その後1600年、関が原の戦いで東軍についた次の当主・利直が、家康に所領を安堵され、
1615年頃には現在の様な石垣のお城が出来たのだそうです。
伊達家の青葉城と比べると、石垣の石の荒さが目立ちますが、これは恐らく、盛岡城の方が
古い時代に造られた石垣であるからではないでしょうか。

盛岡城の築城は関が原の戦いの直前であり、徳川家による天下泰平の時代に移行してゆく時期でした。
そんな時代背景もあったのか、南部家は幕府に対しての配慮として、盛岡城に天守台を造ったにも
関わらず、天守閣を建てずに3階建ての櫓を建てて代わりとしたそうです。
なお、明治期の廃藩置県の時代、盛岡城は一旦は「存城」扱いとなったものの、老朽化が著しかった為、
殆どの建物が解体され、移築、或いは廃棄されてしまったそうで、建築物はほぼ現存しません。
盛岡は空襲を受けなかった街なので、もし、保存活動がなされていたならば、今でも全ての建造物が
残っていたでしょうに・・・。

風情溢れるこのお城は、盛岡で過ごした数多くの文人に愛され、様々な作品に登場します。
最も有名なのは啄木のこの詩でしょう。
不来方のお城の草に寝ころびて空に吸はれし十五の心
啄木が通った旧制岩手盛岡中学(現在の盛岡一高)は岩手公園のすぐ近くにあり、
彼はよく授業をさぼってこの城に来て草の上に寝転んでは、詩作に励んでいたようです。

緑豊かな内堀。岩手公園の中で、僕が一番好きなスポットでございます(^▽^)
岩手公園は桜の時期、紅葉の時期が特におススメですね~^^
盛岡探訪、次回ラストです♪
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