走行日:2009.08.14(金)※お盆
お天気:快晴
乗車:DAHON Vitesse P16
盛岡探訪もこれでおしまい。
今、ブログを書いてるだけですが、それでもなんか名残惜しい^^;
今、ブログを書いてるだけですが、それでもなんか名残惜しい^^;
そうだ、ここで、材木町の光原社にあるステキなcafeエリアをご紹介しましょう(^▽^)

『光原社』は盛岡・前編で述べたとおり、宮沢賢治の作品集『注文の多い料理店』の発行元。
『注文の多い料理店』は、山で狩猟の途中に道に迷ったイギリス人2人が辿り着いたあやしいレストラン
『山猫軒』でとんでもない出来事に巻き込まれる様を描いた物語です。
他、この作品集は『どんぐりと山猫』などを合わせて、合計9点の作品を纏められています。
本の出版にあたっては、賢治と、賢治と親交が深く、その才能に惚れていた資産家の息子2名が出資。
出版社の名前、本のデザイン、タイトルなどで盛り上がり、楽しい時間だったようです。
果たして、作品集は実績の浅い作家の作品としては異例なほど豪華な紙質、装丁の本として完成し、
1924(大正13)年に1000部印刷されて、高めの値段で売り出されますが・・・
ほとんど全く売れませんでした。
そのうち、出資者の1人の資金繰りまで厳しくなり、見かねた賢治が自費で200部買い入れたという
実話が残っています。
早世する賢治にとって、この作品集は、存命中に唯一発刊されたモノとなりました。
後に、光原社は主に民芸品を取り扱う会社に商売替えし、現在に至っています。

光原社の隣にある『可否館』という看板のついてる軒下をくぐると・・・

石畳と緑と洋館、そして柔らかな日差しに囲まれた中庭の様な場所に出ます。
ここが、かつて『注文の多い料理店』の発行元となった光原社の跡地になります。


このスペースのオブジェは、宮沢賢治のイーハトーブの世界をイメージしたものでしょう。
イーハトーブとは、岩手の自然や雰囲気を愛した賢治が創造した理想郷。
岩手=いはてをエスペラント調に表現した造語ですね。
僕もこういう世界観は好きで、窓を星型にくりぬかれた灯籠のオブジェなどはレプリカで欲しいな。

おみやげ屋さんもあります。
売られてる小物はどれもかわいいな。
何か買って帰りたくなりますが、ナゴヤには今のところプレゼントする相手もいないので、
止めておきます。
帰りの飛行機代もバカにならないしな・・・。
他にも、本格的な民芸品や、目も眩むような高級家具を扱う店舗も、この一角にあります。

可否館は10人入るのがやっとくらいの小さなお店。
行列は誰もしてないものの、不思議と必ず満席で、僕は何回かあたりを行ったり来たりして
席が空くのを待ちました。

南部鉄器の風鈴の音が心地よい店内の、かわいらしいタイルテーブルに置かれたアイスコーヒー。
このグラスも涼しげでかわいい。
これは買って帰ろうと思い、グッズショップに戻って探してみましたが、売ってませんでした。

可否館の向かいの建物には、光原社ゆかりの書物が展示されたスペースがあります。
大正デモクラシーの時代、この街で展開された出版に纏わる様々な裏話を見れて、
なかなか感慨深いものがあります。
建物の中では、長岡輝子さんによる賢治の童話の朗読を堪能出来ます。
この光原社の一角は、盛岡探訪時に是非立ち寄って頂きたいスポットです。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
さあ、盛岡駅方面に向かいましょう\(^o^)/
●東大通り

岩手公園の北側にある通りは、数年前に街区の半分程度のテナントが新しいモノに一新され、

岩手公園の北側にある通りは、数年前に街区の半分程度のテナントが新しいモノに一新され、
若手オーナーが入居して切り盛りする一角に生まれ変わりました。
なんかグァムの街並みにもこんな区画があった気がする。
結構、好きな雰囲気です。電線が地中化されてくれればもっといいんだけどね。
なお、この区画の向こう側には、40年くらい前から変わらない雰囲気の、古い飲食店街があります。
●大通り

盛岡最大の商店街。他の街の繁華街に比べて道幅狭いでしょう?

盛岡最大の商店街。他の街の繁華街に比べて道幅狭いでしょう?
大通りは一方通行一車線の道の両側に商店が立ち並ぶ街なのです。
通りの中には地元の有力商店がたくさん入っていましたが、近年は中央に資本があるチェーン店の
進出が目立つ様になり、商店街としての盛岡らしさは10年前と比べるとだいぶ薄れた様な気がします。
でも、すれ違う南部っこ達は相変わらず色白でかわいく、ホッとした気分にさせてくれます♪
ちなみに、この通りは一方通行の自動車に対して逆走出来る自転車路が完備されていて、
混雑する土日の歩行者天国時でも、快適なポタリングが約束されています。
●開運橋

盛岡市内を流れる北上川にたくさんかかる橋のひとつで、盛岡駅と大通り方面を直結しています。

盛岡市内を流れる北上川にたくさんかかる橋のひとつで、盛岡駅と大通り方面を直結しています。
現在の橋はトラス構造の鉄橋で、1953(昭和28)年にかけられた橋。
ここに橋がかけられたのは、日本国有鉄道盛岡駅が建設された1890(明治23)年で、当時の県知事が
私費で架橋した橋でございました。
ウィキペディアにも書かれていますが、その昔、開運橋は『二度泣き橋』と言われる事がありました。
初めて盛岡駅に降り立ち、市内方面に向かう時、
随分遠く離れた所まで来てしまったのが寂しくって、開運橋を渡りながら一度泣く。
そして、転勤期間を終えて盛岡を去る日、この街から去るのが辛くて、
盛岡駅の手前の開運橋を渡りながら、二度目を泣く。
随分遠く離れた所まで来てしまったのが寂しくって、開運橋を渡りながら一度泣く。
そして、転勤期間を終えて盛岡を去る日、この街から去るのが辛くて、
盛岡駅の手前の開運橋を渡りながら、二度目を泣く。
東北新幹線が開通する前、東京、その他のエリアから盛岡に転勤になった人達に語られたといいます。
当時、東京―盛岡間は最速の特急で6時間くらい。
羽田からYS-11に乗って飛んできたとしても、電車の乗り継ぎ考えたら3時間以上はかかったのかな。
あまり気軽に来れる距離ではなかったという事ですね。
名古屋から来る自分としては、なんか、その気持ち、判る気がする。
●石川啄木出会いの道

開運橋を渡ると、啄木自身や彼に縁のある人の残した詩の石碑が並ぶ道があります。

開運橋を渡ると、啄木自身や彼に縁のある人の残した詩の石碑が並ぶ道があります。
『かの時に 言ひそびれたる 大切の 言葉は今も 胸にのこれど』
うう、胸にグッとくるものがあります^^;
●盛岡駅

盛岡駅の西口。

盛岡駅の西口。
再開発が進む、新しい盛岡がこちらにあります。
広大だった盛岡駅の操車場の跡地がビル街に変わり、全く新しい街が生まれました。
僕がいない間に出来た、僕の知らない盛岡。
でも、不思議と風情は他のエリアと同じなんですよね~。
出会った事がないのに、親しみを感じます^^
ここから花巻空港まで移動すれば、中部国際空港までのフライト時間は1時間10分程度。
名古屋の家までの所要時間はTOTALで3時間程度。
新幹線なら6時間ちょっと。思ったよりかかるもんです。
やっぱり、国内の移動なのに、ちょっとしたキョリになったなあ・・・。
でも、ますます頻繁に行き来出来なくなった分、愛着もひとしおかも知れない。


あなたも、いつか、たずねくればきっと判るハズ!
盛岡探訪おしまい♪
SONG BY MATSUTOYA YUMI「緑の街に舞い降りて」
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