走行日:2010.03.21(日)

天気:快晴

乗車:DAHON Vitesse P16



◇大覚寺
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嵯峨野の北東に位置するこの地には、平安時代初期に在位した嵯峨天皇が離宮を営んでいた。

嵯峨天皇の信任を得ていた空海が、離宮内に五大明王を安置する堂を建て、修法を行ったのが

起源とされる。

嵯峨天皇が死去してから30数年後の貞観18年(876年)、皇女の正子内親王(淳和天皇皇后)が

離宮を寺に改めたのが大覚寺である。 wikipediaより



大覚寺の正式名称は「旧嵯峨御所大覚寺門跡」といい、真言宗大覚寺派の本山。

心経写経の根本道場・いけばな嵯峨御流の総司所でもあります。





















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鎌倉時代になると、亀山法皇や後宇多法皇が入寺し、ここで院政を行ったため「嵯峨御所」とも呼ばれた。

また、南北朝時代に講和会議が行われ、争いに終止符が打たれた舞台でもあります。





















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皇室ゆかりの寺院であり、代々法親王が住職となった門跡寺院であるため、

現在でも御所風の雰囲気がただよっている。






















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(御霊殿)
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この画面の後ろには後水尾天皇(1596-1680)の等身大の僧像があります。

(大覚寺は位牌や仏像以外の撮影が許可されております\(^o^)/)







彼は1985年、昭和天皇に抜かれるまで歴代天皇の中で最長寿記録(85歳)を持っていました。

学問好きな人で、勅撰和歌集である「類題和歌集」の編纂を臣下に命じたり

『伊勢物語御抄』の著作があったりもします。

また、大変な女好きで、禁中法度を無視し宮中に遊女を招きいれたり、遊郭にまでおしのびで出かけ、

退位後にも中宮以外の女性に30余人の子を産ませたそうな。

56歳で出家した後も治らず、58歳で後の霊元天皇を産ませたという。

果てしなく元気な彼が現代日本の男性を見たら、呆気にとられるだろうなあ。






















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この部屋の格天井には密教法具の外牡丹、杜若などの草花が、折上げ部には雲龍が描かれています。























(霊明殿)
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昭和11年(1936)の二・二六事件の凶弾に倒れた第三十一代内閣総理大臣・斉藤実さんは

昭和恐慌の折、国民の自力更生を願って昭和3年に東京の沼袋に自費で日仏寺を建立しました。

その本堂が昭和33年にここに移築されたものです。


いにしえのお寺というわけではないけど、朱塗りの寺院はかなり鮮烈でした。






















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(大沢池)
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日本最古の庭池。

大覚寺の池というのではなく、嵯峨天皇の離宮・嵯峨院の庭池だったそうです。

周囲およそ1km。

池の周囲には石仏や茶室「望雲亭」、それに名古曽の滝跡があります。

「名古曽の滝」のなこそは「勿来」と書いたりするのと同じかな?

よく、短歌の枕詞になったりする響きにぴったりの風景でございます。






















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その池に面した部屋は、あの後水尾天皇の皇后であった東福門院和子(徳川秀忠の娘)が暮らした

女御御所の寝殿。

襖絵は狩野山楽によって描かれた牡丹、紅白梅、松、鶴などがあります。

女の子の部屋だったからなのか、他の部屋よりもかわいらしい襖絵が描かれた様に感じました。



















(正寝殿)
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奥の上段の間は、後宇多法皇が院政を執った間だそうです。

この大覚寺は、本当に昔の御所の雰囲気がよくわかります(-v-)






















◇湯葉あんかけそば
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大覚寺近くの茶店で少し遅めの昼ご飯。

ホントは京都野菜の天ぷらを食べたかったんだけど、普通の天ぷらしかなかったので、これにしました。

京都のそばにしては塩っけが少し強いようですが、しょうがが効いててとても美味しかった(^▽^)




茶店には一人旅と思しき女の子ばかりが入れ替わり立ち替わりで、意外と女の子も一人旅するんだなあと

気づかされました。
























◇嵯峨釣殿町付近の農道
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どこか奈良や平泉の雰囲気にも通じる、古都の田んぼ道。

移動中、ふとこういう道を走る事があったりするから、ポタはやめられない^^






















◇広沢池
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ここはかつて遍照寺というお寺の境内であった場所。

永祚元年(989)に宇多天皇の孫にあたる僧・寛朝が建てたお寺がそれであり、

広沢池はその時にせき止めて作られたものらしいです。

遍照寺は先ほどの大覚寺に隣接して壮大な伽羅を構えておりましたが、応仁の乱で衰退してしまい、

別の場所で再建される事となりました。
















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池の反対側に茶室みたいなのが見えます。

ああいうところでお茶したいな~。





















◇山越中町付近
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今日のコースに大した上り坂はないけど、ちょっとした「楽しいレベルの」坂はいくつかありました。























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登ると桜がお出迎え(^▽^)























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ただの竹も、京都だと一層見事に感じます^^


四季の変化が鮮やかだった盛岡で育ったからか、自然の色が鮮烈な街、大好きなんですよね~。

真夏に、蝉時雨の京都を走るのも楽しそう!













次回、京都ポタ編最終回です。









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