(終)モスクワ・シェレメチェヴォ国際空港→成田(日本)→そして・・・





アエロエクスプレスで飛行機出発の1時間20分前にシェレメチェヴォ国際空港駅に戻ってきた

ここから空港までは通路使って約10分。

ご老人やブルジョワの人たちが乗り合いで使う空港構内カートに追い抜かれながら空港に急ぐ。

まずは、空港B1の『手荷物預かり所』から荷物を回収してこなければ。

3Fのロビーからこの場所に行けるエレベーターは1つしか無いのだが、場所が判りにくい。

日本語サイト調べても、ハッキリ判る書き方をしているブログ等が無く、預けに行く時迷った。

急いでここを使わなければならない方の為に、僕がハッキリ書いておこう。

シェレメチェヴォ国際空港ターミナルD(3F)の荷物預かり所(B1)行きエレベーターは・・・



●ココです!
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アエロエクスプレスの駅に向かう連絡通路の出入口の手前にカフェの店内にある。

店の中に入って中ほどまで進み、右手方向を見ると2基あって、どちらでもOK。

最初、店に入る時に躊躇したものの、考えてみればこのエレベーターを利用する為にお店に入る人は

四六時中いる訳で、何も遠慮する必要はない。

勿論、店員さんも気にしない。

とにかく店の中に入ればすぐに見つかるので、『連絡通路手前のカフェ』を探すのが手っ取り早い。

(2015年7月末現在)










●手荷物預かり所で荷物回収

手荷物預かり所も英語は通じず、預ける時は少々戸惑ったけど、

受け取りの時は預け証と交換でスムーズに受け取りする事が出来る。

カートにスーツケースとBROMPTON積んで、国際線カウンターに急ぐ。

飛行機出発まで残り1時間。搭乗手続き終了時間まで残り20分










●手続きカウンターの場所が判らない

インフォメーションセンターのスタッフは当然英語が通じるので、場所を訊ねて教えてもらう。

しかし、聞き間違えた様で、アエロフロートの国内線カウンターの方に行ってしまった。

国内線カウンターのスタッフや空港内の案内係は英語が通じないので、ここで少々混乱。

その後、『国内線カウンターは向かって左に集約、国際線カウンターは向かって右に集約』を思い出し、

国際線カウンターのスタッフにもう一度質問して、搭乗手続き締め切り12分前にカウンターに着いた。

あぶねー












●アレクサンダーは親切だった

アエロフロートの担当者は男性だった。

KOU:「可能だったら窓側の席にしてほしいんだ。あと、リクライニング出来ない席は勘弁してほしい。

    ここまで、本当に酷い席続きで」

アレクサンダー:「もちろん、いいとも」

『アレクサンダー』というネームプレートをつけた25歳くらいのスタッフは、頷いてパパッと手配してくれた。

時間ギリギリのチェックインだからムリかと思っていたけれど、言ってみるもんだなあ。

アレクサンダー:「良い席にしといたよ。良い旅を」

KOU:「ありがとう」

見た目も、性格も、なかなかいい感じの男だった。












●ダ スヴィダーニャ

全ての手続きを終えて、あとは飛行機に乗るだけ。フライトまで45分。

思いっきり背伸びをしていたら、初日、空港に来た時に自販機で手伝ってくれた女の子がまたフロアにいて

コチラに気付いて手を振ってくれた。

彼女にさっき撮ってきた赤の広場の写真を見せると、「あら、(あなたが)よく行けたわね」みたく笑てた。

僕が言えるロシア語はひとつ増えて、2つになっていた。

「スパシーバ」(ありがとう)

「ダ スヴィダーニャ」(さようなら)

2つつなげて伝えてお別れ。

本当に親切な人だった。

さて、時間はまだ少々あるので、さっきのカフェでロシア最後の食事をしていこうか・・・

と、言っても軽食くらいしか間に合わなそうだけれど。













●空港内カフェ
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カフェの店員さんは、いかにもロシアっぽい、かわいらしい女の子だった。

やはり英語は通じないけど、アバカンと違って『コーク』は通じた。

ここには写真付きのメニュー表があり、ストレスなくハンバーガーを注文出来る。

後は、冷凍で出て来ない事を祈るのみ・・・(笑)





ほどなくコークが届き、ストローでなんとなくかき混ぜながら、チビチビ頂く。

ロシア・・・人の雰囲気は、関西人よりも東北人に近いような気がする。

ようは、『おとなしく』て、『ひかえめ』で、『親切』って感じ。

勿論、関西の人が不親切というわけではない。

関西の人は、『にぎやか』で、『たのしく』て、『親切』、みたいな笑

さて、ハンバーガー、どんな味かなあ・・・♪













5分経過(フライトまで35分)

けっこう、時間がかかるな。モスバーガーでも出てきている時間だ・・・











15分経過(フライトまで25分)

まさか、オーダー忘れ?いや、店員さんにそんな気配はみあたらない・・・











25分経過(フライトまで15分)






どうやら、ガッチリ手作りの本格的なハンバーガー頼んじゃったらしい。値段もそこそこだったしな…。

『これはもう、お金を置いて行くしかないか』

そう思って立ちあがろうと思ったら、かわいい店員さんが急いで商品を持ってきた。






店員さん:「□☆%〠#!(時間がかかってごめんなさい!)」(想像)

KOU:「・・・・・・・・・

・・・何言ってるのか判らないけれど、かわいいから何でもいいや。











●スペシャルハンバーガー(フライトまで13分)
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くっ・・・

美味しそうだけど、食べるのに時間がかかりそう。

いずれにしても、早食いの為には切るしかない。

ザクッ!














●フライトまで12分
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うお、めちゃしっかり作ってる。こりゃ、モスバーガーと比べても仕方ないな。

パンの香ばしさが香りだけではなく指からの触感と熱感で伝わってきて、

さらに鼻腔をふうわりとくすぐるのはビーフパティからの湯気。

そして、原型をしっかり留めたまま、さきっちょのあたりだけがしっとり溶解しているチーズ。力強い。

なんて丁寧な仕事のハンバーガーなんだろう。

いただきます!

パク・・・モグモグモグ・・・












おいしい!!












・・・ってか、こういう風にいつもの様にのんびり味わっている余裕は無い。

味わいたいのを我慢して、バクバクと食べて、コークで胃に流し込む。とても美味しいのに勿体ない!

同時に女の子を呼んで支払いをする。

フライドポテトは食べているヒマはない。

『おつりいらない』とゼスチュアで示すと、女の子は僕の食べっぷりから状況を察したようで、

『ありがとう、ごめんね』みたいな仕草を見せた。









●イミグレーション(フライト10分前)

3つの窓口が3人ずつ順番待ちになっていた。

イミグレにこんなタイミングで来た事自体初めてだが、ガチでギリギリだわ

心臓によくない。

結局、フライト4分前にイミグレを通過して・・・













●アエロフロート機に搭乗
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出発時刻2分前に、飛行機に搭乗。

イミグレからの移動距離が短い空港で、本当によかったぁ

アレクサンダーの手配で、窓際の席をキープ出来ていた。リクライニングも可能。よかった。

ちなみに、僕が着席した後、賑やかな関西弁のおばちゃんたちがどかどか乗り込んで来た。

彼女たちはロシアに来る時に僕が使った席(機体中央部後方のリクライニング出来ない席)だったみたいで

「あかん、最悪の席になってしもたわ~」

「この席だけは勘弁してほしいわあ」

・・・等と、しばらく文句を言っていた。

あぶないあぶない。

しかし、僕よりも遅れてきたであろう彼女たち、よく搭乗できたなあ。

飛行機遅らせたのかしら?














●離陸
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もともとこの旅は、70年前にチェルノゴルスクで亡くなったじいちゃんが見た光景を知る目的で来たもの。

また、おそらくは自分の死没地を将来実子や子孫が訪問するかも…なんて想像したであろう事を

果たすつもりで来たものだった。

彼が日本に生還していたなら、あの大地で体験し見聞きした事を少しは家族に伝えただろう。

しかし、彼はそれを出来なかった。

一方で、彼がもし生還していたら・・・あるいは満州国が続いていたら、僕は間違いなく生まれていなかった。

僕と彼は、同じ時代に決して並存する事が許されない存在同士なんだよな。

彼がいる世界に僕はいないし、僕がいる世界に彼はいない。

じいさんなのにね。不思議だ。

でも、彼の代わりに、僕が現地で見聞きした事を、彼の家族に伝える事は出来る。

彼が亡くなった土地が、どんな土地であったのか、なども。


















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じいちゃんの実子の世代は生活上の苦労も多かったり子育てに追われたり、

あるいはソ連という国の体制に遮られ、誰ひとり父親の死没地に行くことなく高齢になってしまった。

豊かで平和な時代に生まれた僕ら孫の世代、本当に恵まれているんだなあと思う。

しかし、時間の経過とともに何十万人もの日本人が辿った歴史を思い返される事も少なくなった。

かたや、ネットの海外ニュースのコメント欄を見ると隣国の揶揄ばかり。

よく思う。

いちいち隣国のネットユーザーの声を拾って『記事』に仕立てあげ、日本で発信する必要があるかしら?

それは、その『記事』を配信している会社が広告収入の為にアクセス稼ぎたいからでしかない。

だって、日本の生活の何にも影響しない、不要な情報だもの。

バカくさいなあ、と思う。

コメントも、実際にその国に行った事ない人たちが罵り合っているようにしか見えないし。

誰でも世界中に簡単に出かけて、その場所のリアルを体験できるこの現代で、

出かけもせず、深くコミュニケーションとろうともしない、どちらかというと視野狭窄の人々の言い合いの中に、

一体、どんな真実があると言うのだろう?

その言い合いが浮き上がらせるモノとは、むしろ言い合っている本人たち自体の『実像』でしかないような。

アバカンのマーケットで出会ったじいさんの言葉がふっと浮かぶ。

もしかすると、彼はかつてソ連兵として僕のじいちゃんと戦った世代かも知れない。

彼は言葉をすごく慎重に選んで僕に話してくれた。

若い世代の人に大切にしてほしいと言っていた事。

『国対国ではなく人対人』

『顔と顔をつきあわせたリアルなコミュニケーションをとる事が大事』

きっと、彼の苦い記憶の中から、絞り出すように僕に伝えてくれたメッセージじゃないかな。

そういう思いは大切にしたい。



















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せっかく窓側の席にしてもらったのに、ロシアの大地は厚い雲に包まれて見えなくなった。

70年前、107万人の日本人が拘束され、じいちゃんはじめ34万人が亡くなったという大地。

どれくらいの遺族が、ロシアに来れているのかな。

一般社団法人全国抑留者協会のHPを見ると、平成2年から23年までの間で1996人がロシアを慰霊訪問。

34万人の死没者に対してあまりに寂しい数。訪問出来る様になるまで時間がかかりすぎたという事か。

ロシア渡航前に全抑協の方に相談した際、遺族の高齢化に伴う参加者減少で、

平成24年以降は慰霊旅行自体を実施できなくなったという事を聞いた。

むべなるかな。

今回、くどいくらいの長さでハカス共和国の体験談を書いたり動画を載せたりしたけど、

彼の地を慰霊訪問したくても何らかの事情で訪問出来ない方のお役に立てれば幸いと思う。



















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夏の高緯度地方を飛んでいるので、『夜』の空間に入るのは本当に一瞬。

雲が晴れていて、初めてハッキリとシベリアの大地を見る事が出来た。

『じいちゃんはここを移動したんだね』

思わず、そんな事を語りかけてしまう。

シベリアの大地は大部分が漆黒の闇だった。

















●日本へ
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やがて機体は日本海上へ。

『帰ってきたねえ』

ここでも、思わずそんな事を語りかけてしまう。

『みんな、じいちゃんを待ってるよ』

1秒でも早く帰国したい。

海外からの帰国の途上でそんな事を感じたのは初めてだった。
















(いわき上空)

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窓から国土が見えた時、涙があふれてきた。

『多分、何もかも変わっちゃったと思うけど、ここ、間違いなく日本だからさ。安心していいんだよ、じいちゃん』

















(成田)
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『ほんとうに、おかえりなさい』

2015年7月23日 帰国。

















●2015年8月10日
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『じいちゃんの次男は、今、ここに住んでいるんだ』

飛行機の中、脳内でそんな解説(笑)をしながら、岩手の実家に帰省。

仏壇から借りたじいちゃんの写真を元通りばあちゃんの写真の隣に戻し、念入りに拝む。

『・・・あれ?』

すっとカラダが軽くなった気がした。

『無事、じいちゃんを仏壇に届けられたっていう事なのか?』

霊とかスピリチュアルとかオカルトの類を全く信じない自分がそんな事感じるなんて意外。

『・・・いや、これは役割を果たせた解放感からだな』















●報告と、反応と

道中での出来事を写真や動画を踏まえあます事なく家族に伝えると、父も母も感慨深げな表情。

特に、動画だとその場所の空気感もよく伝わったようで、『本当によく判るわ』と言っていた。

「そうか・・・こんな大地だったか」

「うわあ、すごい風なんだねえ」

同じような事を15年ぶり?に会った叔父(四男)の家でも報告。

みんな、心のどこかに引っかかりながらも果たせていなかった墓参を身内がやってきた事で、

心からホッとした様な…胸のつかえがとれた様な感じが印象的だった。

叔母(長女)にも報告したかったが、「都合が悪い」との事で、できなかった。

まあ、いかに実父の身に起こった出来事だとしても、70年前の出来事でもあるから、

「とっくに割り切っている」という事もあるのだろう。

ちょっとじいちゃんが可哀相な気もするけど、とうの昔に亡くなっている人物であり、

じいちゃんの感情が消滅しているのも事実なので、当たり前と言えば当たり前。

むしろ、息子2人とその家族、あと、その嫁の兄弟(僕の伯父)とその家族が深い感慨をもって

受け止めてくれた分だけ、じいちゃんは幸せなのかも知れない。

終戦70年目の夏、この人たちの心の中でじいちゃんは本当の帰還を果たした。













●次代へつなぐもの…命を慈しむ気持ちと、探究心

そういった出来事は僕の両親を通じて成長著しいじいちゃんのひ孫たち(僕の甥・姪)にも伝わった。

子供なりにロマンの様なものを感じたり、日常よく聞く国の話と異なる分、好奇心を刺激したみたい。

じいちゃんの最後の旅路は、彼という生命個体としては、これ以上ない程の最悪の悲劇だったけど、

別の世代にとってみれば、戦争に対する教訓、そして興味・関心・探究心の対象にもなりうる事。

彼は自身の口から自分の言葉で体験を伝える機会を持てなかったけれど、

その経歴や旅路の内容ゆえに子孫が色々調べようとする事はある。

現に僕は色々調べたし。

あるいは、中学1年にして学業優秀で探究心あふれる甥は、ヒョロヒョロのカラダも合わせて

じいちゃんの隔世遺伝っぽいところもあるので、もっと色々調べてゆくのかも知れない。

学者肌だったと言う彼の気質からすれば、子孫のそういう行動は彼にとって大本望だろうか。

それは、ある意味、僕にとっても『面白い』展開かもしれない。

僕自身は、少なくとも子供を持つというカタチで自分の形質を次代に繋ぐ事は無さそうだし、

個体として遺伝子を次代につなぐ欲求が無い(=僕の遺伝子は必然的に淘汰される)存在なワケだけど、

僕自身の『好奇心』や、『好奇心に基づく行動様式』の一部分は、甥や姪に引き継がれるんだと思う。

勝手に引き継いでくれる。お願いもしてないのに(笑)

じいちゃんの旅路に引き寄せられた僕が辺鄙な場所に折り畳みの小さな自転車を携えて旅をして、

その旅の内容を知った甥っこや姪っこが、普段僕がどんな事を考えて過ごしていたり、

仕事やプライベートで旅しているのかにキョーミを持ったりするわけだから。

これは、『僕』という近い将来淘汰される1遺伝子にとって、意義深い取り組みだったのかも。

普段、殆ど考えない事だけれど。



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70年前に亡くなっている人が、一度も会った事がない人にこれほど影響力を発揮する事ってあるんだね。

あらためて、『何かのカタチ』で戻って来たんだなあって思うよ。

ほんとうに、おかえりなさい。







(おわり)