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僕は観光関連の広告の仕事に携わってきたのですが、そこから一歩踏み出して、

『その土地の歴史を詳細に調べてみる』なんてことを最近よくやっております

村誌や町誌をはじめとするその地域の歴史が詳細にまとめられている文献を調べてみたり、

その土地に出かけて、長老に書物には載っていないこと・・・長老が若い頃に残っていたものや、

じいちゃんやばあちゃんから聞いた話をお伺いしたり。

仕事なのか趣味なのか境目が無くなるくらい、本当に面白いです。















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SW2日目のこの日は、朝早くから岐阜県と長野県の県境にある『峠集落』に出かけました。

この付近で進めている仕事で中山道沿いの小さな集落のお祭りにカメラクルーに出てもらっておりまして、

ちょっと興味があって、わがまま言ってくっついてきた次第でございます^0^

この集落は戸数は現在10戸ちょっと。

また、少し離れた場所に8戸くらいありますが、現在、子供がいる家庭は殆どありません。

日本の各所で見られる、超高齢化が進んでいる集落の典型と言えるでしょう。














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お祭りで使う何やら賑やかで不思議な感じの『神輿』。

もともと、ここのお祭りは神輿などはなく、単に村人が呑んで練り歩くだけというスタイルだったそうですが、

『それでは祭りとしてあんまりなので』(村の人談)という事で、手作りのお神輿を作ったのだとか。

欅の葉で作った杉玉のようなものの中に、『花』と呼ぶ色紙をくくりつけた竹櫛がたくさん刺さっています。

私、少し前までこういった『歴史的でないモノ』の価値を著しく低くとらえるというまさに悪癖があったのですが、

色々な地域の色々な歴史を調べる様になって、『そうではないんだ』と考えを改める様になりました。

昔の祭りも、現代のこういう取り組みも、『地域コミュニティをなんとかしていきたい』という思いに

何の違いも無い・・・というか。

峠から4キロ先の馬籠も、今では世界中から観光客が訪れる土地ではあるけれど、

地域を見てみれば少子超高齢化が進む過疎地域である事に何の変わりもなくて。

そのコミュニティを何とかしようと、ちびっこのど自慢であるとか、観光と関係ない行灯まつりとかやるわけで、

こういう取り組みは中山道が廃止された時に新田開発しようとしたり、養蚕に活路を見出そうとした事とかと

何の違いも無いと思うんですよね。














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この神社は熊野神社といい、『おそらくは中山道が通った1600年頃に出来たんじゃないか?』…という事。

「非常に小さい村社で歴代続く宮司がいるわけでもなく、歴史的な記述が何も残っていない」というのが

地元の長老のハナシ。

お祭りを取り仕切る宮司さんは馬籠宿近くの諏訪神社から来てもらっているそう。

その諏訪神社の神職も高齢で代替わりしたばかりだそうで、

峠集落の地元の方から、この祭の『習わし』を教わりながらお祭りを進めておりまして、

そのへんの『ゆるさ』というか『ほのぼの感』も、見ていて面白いわけです。

ちなみに、奥に見えるのは明治か大正時代に建てられたらしい『舞台』。

岐阜や長野では『地歌舞伎』と呼ばれるその土地特有の歌舞伎を演じる文化が今日でも活発ですが、

かつて、峠集落でもやっていたのだそうです。

戦後、復員した村人が戻ってきた頃には、舞台の前に広場いっぱいになるくらいゴザ引いて、

ハレの日の料理を携えた村人たちが集まり、大変盛り上がったそうな。

そういう文化を教えてもらうと、同じ景色を見ていても、見えてくるモノが変わってくるんですよね。














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3人しかいない子供が先頭に立ち、太鼓をたたきながら集落を回ります。

カメラクルーは行列を一生懸命先回りして撮影するワケですね。

僕もカメラになるべく映り込まない様に注意しつつ、村のみなさんと一緒に回る事にします。
















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子供たちの太鼓の音が集落に響き、村人が練り歩いていくと・・・

















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待っていたおばあちゃんが『おひねり』を持って出てきて、獅子舞にくわえさせます。
















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そして、ふかぶかとお辞儀。

宮司さんが榊をシャッシャと振るいます。

そのあと、神輿を担いだ人たちが「わーっしょいわーっしょいわーっしょーい!!!」と気勢をあげます。

この国で40年以上暮らしているのに、こういう光景を見たのは初めてかも知れない。

結構感動してカメラクルーに「すごいじゃないですか」と訊いたら「一般的な光景ですよ」と言ってました。

だとしたら、僕は、今まで一体何を見て暮らしてきたのでせうか?
















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うーん、素敵な文化だなあと思います。














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山道を2~3キロ近く歩いていく道中、ところどころでお休み。

沿道のお宅が飲み物やらおやつやら用意してくれていて、僕らにまでおすそ分けしてくれます。















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こうやって一行は峠集落と、少し離れた集落に福を届けるのでした。













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僕らは村の人よりひと足先に熊野神社に戻り、一人残っていた古老にいろいろハナシを聞きました。

この建物が地歌舞伎で使われていた舞台だとか、70年前、復員してきた人たちで特ににぎわって

1回途絶えた地歌舞伎が復活した事とか・・・。

古老は当時中学生だったそうです。

















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帰りは軽トラにお神輿を積んで、一行が戻ってきました。

宮司さんはゆでた塩水の中に榊をひたし、一行の前でそれを振るってしぶきをかけます。

これはどこかで見たことあるな。どこだったっけな・・・。。。
















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榊につける塩水はこうやって沸かします。

ナベがかけられているかまど部分の石は、一時期、何のためにあるのか判らなかったらしいのですが、

ナベが見つかった事によってこうやって使われていた事が判ったのだとか。

20年前までは1世代上の長老たちが存命していて、もう少し色々詳しいハナシが聞けた筈。

全国各地で、今、こういう事が起こっているんだと思います。
















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一段高いところにあるお社へのお供えものは、リレーのように手渡しで運びます。

ちゃんと作法があって、渡される時は自分の頭より高いところで受けなければいけないという。

確か、伊勢神宮の式年遷宮の中継で同じように手渡しで供え物を運ぶシーンを見たような・・・。

ナマで見たのは初めてです。

昔は小学5年生の女の子が2人、巫女の役をして舞うという儀式もあったそうです。

この集落で、『小学5年生』の『女の子』を『2人』も『毎年』集められた時代があったという事でしょうか。

ちょっと想像できない。












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お社の中で『本当に大切な神事はこれだけ』(地元の人談)という神事が行われている間に、

かつての舞台では宴会の準備が。

広場ではちょっとしたバーベキューの準備もあり、村の人の憩いのひと時が始まるようです。

そのあと、餅まきをして、お祭りはおしまいだという事です。

カメラクルーは餅まきまで撮影しますが、僕は馬籠に用事があり、峠の人とはここでお別れ。

















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神社下のおばあちゃんから「これ持ってきゃー」と『栗おこわ』をいただきました。

栗おこわ、江戸時代からの峠集落の名物。

江戸時代、弥次さん喜多さんで大ベストセラーとなった『東海道中膝栗毛』の続編(中山道編)を書くために

この周辺にたびたび取材旅行に来た十返舎一九の大好物だったようで、句にも残っていますね。

渋皮のむけし 女は見えねども 栗のこはめし ここの名物



また、宿場や伝馬制が明治2年~3年に新政府の法律によって廃止され中山道は一気に廃れるのですが、

その悔しさをバネに明治前半に明治天皇の行幸を一生懸命に誘致した結果、この道をお通りになりました。

その時にも、村人は大喜びで栗こわめしでもてなしたそうです。

そういう歴史と一緒に味わう栗こわめし。

ああ、マジで美味い。
















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その後、馬籠でちょっと遊び、馬籠宿より下の新茶屋付近で夕景を撮っていたカメラクルーと合流。

僕は夕景には間に合いませんでしたが、タイムラプスのいい画が撮れたみたいで楽しみ。











中山道は欧米系のバックパッカーが非常に増えてきましたね。

僕も若い頃に馬籠~妻籠間だけですが1回歩いた事がありまして、ちょっとしたトレッキングを楽しみました。

案外、木曽路全部泊りがけのトレッキングで踏破しても面白そうですね。

新茶屋には1軒いい雰囲気のお宿があるし、奈良井とか木曽福島とかにもあるだろうし。

色々な発見があって楽しそう。