終戦の1945年から70周年だった去年の今頃、祖父の足跡を辿る情報収集をしていた事を思い出した。
ロシア連邦シベリア管区、ハカス共和国、首都・アバカン市、
ユキヒョウの生息地アルタイ山脈、古代文明の宝庫サヤン山脈、
ユーラシア大陸最大の大河にして厳冬期に完全凍結するエニセイ川、その支流の大河・アバカン川・・・
およそ、自分の人生に全く関係ないと思っていた地名がどんどん出てきて、不思議だった。
そして、僕はモスクワ経由で中央アジアの片田舎であるハカス共和国に出かけ、
祖父の死没地である炭鉱都市・チェルノゴルスクで花を手向けてきた。
(当然、BROMPTONも運んで、ポタリングもしてきた)

いい経験だったと思う。
じいちゃんは、亡くなる前に、『いずれ子孫がここにやってくるかも知れない』と絶対思ったハズ。
妻や幼子を残し、(今の僕より若くして)自身の死を確信した無念さは汲み取ってあげたかったし、
彼が見た『記憶』の様な何かを日本に持ち帰って、彼の息子や親族に伝えなければ・・・と思っていた。
あくまで感傷的なものだが、お盆に実家に帰って仏壇に手を合わせた時、
『ふっ』とカラダから何か離れたような感じもしたし、彼の慰霊は『やりきった』・・・と思ったものだった。
そして、『精一杯生きよう』みたいな気持ちになって、実際、少しだけ真摯になって、
自分に厳しく他人に優しい生き方になった・・・ような気がしてる。
ただ、ここから先は、もう、あくまで僕の趣味のハナシ。
仮に祖父の話が発端だとしても、もう、遊びのハナシでしかない。
今、思い出しているのは、彼がシベリアに連行される前の事。
満州国哈爾浜特別市(現ハルビン特別市)の『農林省(後の農林水産省) 勧農模範場』で
農作物の品種改良や、技術指導に携わっていたという事だ。
去年見つけていたその施設の功績を評価するレポートに、職員の出身校を列挙した項があるが、
32ページの表の『盛岡高等農林学校 農学部農学科(現・岩手大学農学部)』の1名の出身者こそ
『彼』だと思う。
そして、彼が働いていたと思われる『旧種芸科研究室』は現存しているようだ(35ページ)。
『ここ、旅の目的地になるんじゃない?』

ハルビン市
じいちゃんたちが暮らした街角が現存するなら訪ねてみたいが、さすがに再開発されたろうか。
ちょっと、調べてみようかな・・・。
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